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さとのわ(SATONOWA)・旬だより

高知は日によっては25度を超える日があるなど、早くも初夏の雰囲気です。いよいよ小夏が最もおいしい季節が到来、新茶(一番茶)も予約受付を開始しました。山北みかん(温室)は、おおむねGW明け以降、機を見て販売開始予定です。メロンも5月ごろから徐々に出荷量が増えてくる見込みです。

山北みかん・農家のご紹介

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山北みかんを手がける、
農家さんをご紹介します

山北みかん農家の別役(べっちゃく)さん

別役(べっちゃく)さんは、親子2代に渡って露地物の山北みかんを栽培している、生え抜きのミカン農家さんです。

親子2代で、山北みかんを栽培する農家さんです

後継者不足に悩む農家さんが多い中、山北みかんの別役(べっちゃく)家は、世代継承が実にうまく進んでおり、毎年たくさんの美味しい山北みかんを出荷し続けています。

5月頃の山北みかん畑
5月頃の山北みかん畑

ミカン畑で咲く花
ミカン畑で咲く花

山北みかんの収穫風景
山北みかんの収穫風景

みかんの季節になると、畑一面が、まるで雪が降ったように真っ白く覆われます。これは「マルチシート」と言って、畑全面を覆う為、大変手間ひまがかかりますが、みかんをより甘く濃い味にするのに、最近では欠かせないものになってきています。
この農家さんの山北みかんは、全てマルチシートをかけた畑で栽培されています。=(マルチ栽培)

農家の選果場にて。山北みかんの選別作業
農家の選果場にて。山北みかんの選別作業

たわわに実った、最旬・12月の山北みかん畑
たわわに実った、最旬・12月の山北みかん畑

師走のお歳暮シーズンが、山北みかん・おきつ系の出荷時期と重なって、一年で最も忙しい時期になります。12月の山北みかんは甘さが極まって、県内外から需要が大変多く、家族総出で出荷の日々。農家にとっては昼夜を問わず、休みのない日が続きます。

厳選農家の山北みかん・近景
厳選農家の山北みかん・近景

別役さんちの山北みかん・産地直送します
別役さんちの山北みかん・産地直送します

別役(べっちゃく)さんの山北みかんは、「高知さとのわ」のネットショップで、農家直送にて全国発送しています。↓

山北みかんの通販(ネット販売)

※旬の10月~12月ごろ、早生(わせ)と、興津(おきつ)のページで、それぞれ産直販売しています。

山北みかん・販売所(良心市)はどこ?

山北みかん・総合ご案内ページへ
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山北みかん・販売所(良心市)を紹介します

高知県・県道30号線から、山北のほう(北西)を望む

山北みかん販売所(良心市)に行くには、国道55号線などから、県道30号線に入って、北東に向かいます。ナビがあれば簡単ですが、「山北広域営農センター(高知県香南市香我美町山北1923-2)」を目指して進みます。上の写真は、県道30号線を山北方面に向かって、北東にまっすぐ進む時の風景です。

山北広域営農センターが右手に見えてきたら、到着です。

県道30号線を道なりにずっと進んで行くと、やがて右手に駐車スペースがあらわれ、山北広域営農センターが見えてきます。上の写真の右手の建物がそれです。

道をはさんで左手に公衆トイレの建物があり、良心市は、その裏側です。

山北みかんの販売所(良心市)は、山北広域営農センターの道向かい、左手、公衆トイレの裏側にあります。左折して下さい。(山北広域営農センターの駐車スペースに駐車しても大丈夫、とお伝えしていましたが、最近はダメと言われる事が多くなってきましたので、おかないようにして下さい。)

良心市のさらに奥が舗装されていない広場になっており、ここに駐車出来ます。

良心市のさらに奥が、舗装されていない広場になっており、ここに車が駐車できます。

舗装されていないので、雨の日は水たまりが出来て、足場が悪いですが、12月はお客さんで一杯です。

雨の日は、水たまりが出来て、やや足場が悪いですが、12月の山北みかん最盛期には、お客さんで一杯になる事もしばしばです。

みかんはビニール袋に小分けにされたものが、棚に山積みにされています。

お目当ての「山北みかん」は、このように棚で仕切られた状態で、棚ごとに山積みにされています。

みかんはビニール袋に小分けにされており、1袋=100円で購入できます。

取材したのが11月の初旬でしたので、山北みかんの出荷もまだ少なめでしたが、12月の最盛期には、この棚が一杯になります。

棚の右上にある小銭入れに1袋ごとに100円を投入します。

各農家が持ち寄りで運営されている良心市です。農家ごとに棚が仕切られており、それぞれに100円の投入口が右上に付いています。必ずみかんをとった棚の投入口へお金を入れるようにして下さい。

なお、最近は盗難防止の為に、監視カメラを設置しています。お代は正しく支払って、気持ちよく、美味しい山北みかんをいただきましょう♪

この販売所(良心市)で売られている山北みかんは、もっぱら家庭用専用の徳用みかんです。品質的には、箱入りの正規品にはかなわない、正規品になりきれなかった品質の物が中心となる為、格安です。

山北までは来られない、という遠方にお住まいの場合は、ネット通販で気軽に買う事が出来ますので、ぜひこちらもご覧下さい。↓

山北みかんの通販 (ネット販売)

山北みかんの歴史

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山北みかんの歴史について

山北みかんの歴史は江戸時代、安政二年(1855年)から始まりました

山北みかん栽培の歴史は古く、江戸時代にさかのぼります。

そもそも土佐(今の高知県)にみかんが入ってきたのは、野中兼山が導入した寛文二年(1662年)以降と考えられています。(香我美町史・上巻より)

その後、安政二年(1855年)になり、池田文治という方が、長岡村(現在の南国市)から、温州みかんの苗木数本を持ち帰った記録が残っています。これを明治16年(1883年)ごろ、西光部落の桑名国次さん(1874年生まれ~1941年没)という方が、その優秀性を認め、栽培を始めました。これが今、確実に記録が残っている「山北みかん」歴史のはじまりです。

明治31年(1898年)、山北村の藤田喜全さんが、県庁から配布された数本のネーブルオレンジを植え、良好な結果を得て、明治37年には和歌山県から2000本の苗を導入するなどしました。このころはまだ、山北周辺では、温州みかんよりもネーブルのほうがよく栽培されていたようです。

明治42年(1909年)、山北村で50アール以上のミカンを栽培していたのは、桑名国次、藤田卯太郎、藤田喜全、岡崎関治、桑名菊次さんの5名だったと記録が残っています。それ以降、農家の精進により、ネーブルオレンジと温州みかんをベースとして柑橘産地が山北村に形成されていくこととなるのですが、大正6年(1917年)の大寒波(1月9日マイナス6.8度)、続いて大正7年(1918年)の大寒波(1月8日マイナス6.8度)が起こり、ネーブルオレンジが大被害を受けます。この連年の被害により、ネーブルオレンジ栽培に見切りがつけられ、温州みかん(=山北みかん)が広く栽培されるようになります。

第二次世界大戦前の山北みかんは、栽培面積約60ヘクタール、収穫量186トンを超えるまでになっていましたが、戦争に突入してからは、肥料・農薬の入手が困難となり、労働力不足もあって一時的に衰退します。

香我美町のミカン栽培が本格的に発展したのは戦後、昭和25年(1950年)ごろからです。

昭和46年(1971年)には、香我美町のかんきつ栽培面積は205ヘクタールに達し、高知県内の柑橘栽培の面積に占める割合は25%を占めるようになります。

(出典: オーテピア高知図書館所蔵・香我美町史より)

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